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歩いて帰った記録

 ちょうど一週間前。
 その日の今頃、新宿から自宅まで歩いて帰っているところだった。

 3月11日、地震が起きた時、会社にいた。ビルの19階の、自分の机に座っていた。ゆれ始めた時、「あ、地震だなぁ」みたいな感じで、それほど深刻に構えてなかった。小さな地震だろうし、すぐに収まるだろうと思っていた。つい先日も、昼前に地震があって、ビルは揺れたようだ。その時は、外に出ていて、地震があったことにすら気づかなかったのだが。またその程度だろうと思っていた。
 しかし、揺れは収まるどころか、次第に強まってきた。回転いすが動き始めて、ついには重たい複合プリンターまでもが動き始めた。立っていることはできず、机の下にちょっと隠れる体勢をとっていた。これは大変なことになったのかもしれない、足元にあったカバンからデジカメを取り出した。揺れは続いていて、収まらない。その間、棚が倒れたり、机を一つはさんだパーティションが倒れそうな角度で揺れていた。いち早く机の下に隠れていた女の子が、ちょっとパニックになっていて怖いと言っていた。その他の人は冷静だった。
 ゆっくりと、しかし、幅の大きい揺れだった。これ以上揺れたら、大変なことになる。ちょっと死を考えなくもなかった。どうか揺れが収まって欲しい。結局、2分ほど揺れた後、収まってきた。高いビルゆえか、揺れが収まるまでにだいぶ時間がかかった。

 余震が続くかもしれないとの事で、倒れた棚や動いたプリンターは一旦そのままにした。幸い、停電はなかったため、パソコンは動いていて、ネットも普通に繋がった。これが大変な地震であったという情報を得る。Yahooの地震情報と路線情報を確認するが、路線情報は重くなっていた。
 携帯でのメールは普通に送信できた。だが、受信は、手動で受信しないと、受信できない状態だった。新宿は震度5~6、埼玉も同様であり、家に連絡するため電話をかけてみたが、つながらなかった。母と妹からメールが来ていたので返信した。
 窓から外を見てみると、特に損害はないようだ。歩道に人がたくさんいた。ビル内の放送では、このビルは耐震構造になっているため安全であり、むやみに外に出ないようにと言っていた。
 その後、帰れる人は帰っていいという会社からの指示が出た。路線情報を見ると、山手線は止まっている。東武東上線に関しては、路線情報が更新されておらず、動いているのかも? と思ったが、他のすべての鉄道は止まっていたので、まさか東武東上線だけ普通に動いているはずもない。

 最初の大きな揺れがあってから、その後1時間半の間に、2回ほど、大きな揺れがあったと記憶している。その度、机の下に隠れた。始めに縦に揺れて、次に横揺れが来る。小さな揺れも多数あった。
 ゆっくりとした揺れが続いて、徐々に気持ち悪くなってくる。船酔いのような状態だった。

 隣に座っていた同期と、行動を共にすることにして、ここにいてもしょうがないから、外に出てみようということになった。埼玉まで歩いてかえるのは考えたくもないが、一旦、タバコが吸いたかった。
 とりあえず、オフィスで普通に動いている自販で水を買った。階段を使って外に出た。そしてすぐに喫煙。
 自分の頭は、特に混乱はしていなかった。冷静だった。同期と一緒だったって言うのも心強かったのだろう。帰れるだろうか? という不安はあったものの、電車が動けば問題はないと考えていた。電車は線路を点検中。なんとなく3時間ぐらいあれば終わるんじゃないだろうかと思っていた。
 お腹が空いたってことで、一旦お店に入ることに。近くにあったロイホは満席っぽく、マックなどのファストフードも混雑していた。外は寒かったので、考えることはみんな一緒か。ヨドバシカメラはシャッターが閉まって、手書きの、閉店のお知らせがあった。地下にある大戸屋やとんかつ屋は閉まっていた。「ねぎし」が営業していたので、入った。
 これからしばらく食えなくても大丈夫なように! と、肉1.5倍のブラッキーに飯半おかわりで、食いまくった。とりあえず食えば元気が出るだろうと思った。だが、腹が満たされたら今度は、家が心配になってきた。買ってまだ一年半ぐらいの32インチ液晶テレビは、不安定なパーティションの上に置いてあった。あれは絶対倒れてる。絶対壊れてる。そのほか、ダンボールを無造作に積んでいたことも思い出した。パソコンは大丈夫だろうか。食器も落ちて割れてるかもしれない。そういえば電子レンジは冷蔵庫の上だ。会社で、プリンターが、あんなにも動いたほどの揺れである。もう、自室は絶望的なんじゃないかと思えて、焦った。腹が満たされて初めて、なんだか人並みの不安感に包まれた。「参った」「まさかこんなことになるとは」そんなことを心の中で、何度もつぶやいていた。
 マイナス思考になっちゃダメだ。これからどうするか考えた。電車がダメなら・・・タクシーか、レンタカーか。レンタカー情報を携帯で見たが、既に満車だった。考えることは誰も同じか。タバコを吸って、店の外に出た。

 一旦、新宿駅のタクシー乗り場に行ってみることにした。そんなの誰でも思いつくことだから、混んでいるに決まっているが、想像以上に並んでいた。タクシー待ちの列が、縦横無尽にとぐろを巻いていた。そこでトイレに行きたくなり、行ったが、女子トイレは大変な混雑であったようで列がすごかった。
 外は寒いし、暖房も効いてパソコンも使える、会社に戻るという選択肢も考えた。一緒にいた同期は都内なので、歩いて帰るという。同期の家まで行ければ、同じ距離また歩けば辿り着けそう。なので、歩いて帰ることにした。

 練馬方面は、練馬ICを目指せばいい。とりあえず新宿駅から西へ行けば、どうやったって環八か環七にぶつかる。そしたら北上すれば、練馬ICの看板がないはずはない。新宿駅西側を北上し始めた。同じように歩いて帰ろうとする人で歩道は窮屈であった。道は大渋滞だった。会社の近くの道は空いていたから、クルマさえ手に入れば楽に帰れる、と思っていたのに、歩いた方が速いぐらいだった。バスも満員で、しかも進まないから、バスも大変だっただろう。
 窮屈な道から抜けるためにも、新大久保駅付近で、左に曲がってみることにした。西へ行けば何らかの道路にぶつかる。途中でコンビニに寄り、災害マップを買った。その時々で必要なものが手に入るコンビニのありがたさを感じた。ただこの地図、山手線の内側は明細に書かれているものの、その外は、主要私鉄の線路に沿っての地図があるだけで、新宿→練馬はその地図には詳細にはなかった。詳細ではない地図を見て、この道を行くと山手通りにぶつかることがわかった。山手通りを北上して、どこかで北西に行けば、練馬だ。
 今度はスーパーに立ち寄った。トイレに行きたかったので。なんだか今日は、トイレが近い! こんな時に限って! カバンに水は入れてきたけど極力飲まないようにしよう、と思った。
 話しながら、歩きながら。少し気が楽になってくる。中野区に入った。

 山手通りにぶつかった。これを北上していく。地図を見て、次の目印は西武新宿線。それを越えたら次の大きな較差点を北西に進むことを確認。歩いている人はたくさんいたが、歩道が非常に広いので歩きやすかった。こういうときのために広いのだろうか、この歩道は。線路が下に通っている、中野駅だった。大江戸線もあった。大江戸線は練馬方面に行くので、間違ってなかった。
 行動を共にする同期との会話は、なんとも緊張感のないものだった。日常会話を地震バージョンにしただけ、というような。一例を挙げるとすれば「あの子可愛いねぇ」「一緒に歩きましょうって声かけようぜ」みたいな。無論、実際に声をかけたりはしないが。それもいつも通りだが。中野区に入ったときも「徒歩で巡る23区、1つ目の区だ」とか。むしろそれがよかった。もしも一人だったら、マイナスなことしか考えられなかっただろう。こうなってしまったのは仕方ないことだから、どうせ歩くなら、少しでも楽しめた方がいい。

 もっとひどい被災地もあるので、上記のようなのんきなことを考えていたのは不謹慎であったかもしれないが、ただこの時は、情報がなくて、どれほどのものかわからなかった。「情報」がこれほどまでに欲しいと思ったのは初めてかもしれない。もし情報が入っていたとしても、自分としては、無事家にたどり着けるかどうかで、必死であっただろう。携帯の電池は温存したかったから、あまり使わなかった。会社で、他の人が見ていたワンセグで、津波6メートルとか、それぐらいの情報しかなかった。携帯の小さな画面では、津波の映像を見ても、大変なことになっているとしかわからなかった。ビルでの大きな揺れを感じた恐怖もあり、自分も同じような立場だと思っていた。

 歩き始めた時からもう日は暮れていて、寒かった。3月に入っても寒い日が続いていた。朝見た予報では、夕方雨が降るというのがあったし、地震直後、空を見てみたら変な暗い雲があったりもしていた。だが幸いにも、雨は降らなかった。雨が降っていたら、何倍か大変だったあろう。
 歩き始めは、なかなか進まないように感じていた。しかし、一度歩き始めると、どんどん進んでいった。やっと、練馬方面へ行く道との分岐点にたどり着いた。道路標識にも、この道を左折で関越道とある。間違いない。
 「家まで42.195キロはないだろう、東京マラソンより全然マシだろう」「戦争なんかよりは全然きつくない」「母を訪ねて三千里より全然短い」歩き続けながら自分を励ました。

 大江戸線の落合南長崎駅があった。大江戸線があるってことは、この道で間違ってない。それを再確認できた。次の新江古田駅まで歩きついたところで、またトイレに行きたくなったので駅のトイレを使った。駅の中はとても暖かかった。電車は止まったままで、改札は開放されていた。
 練馬区、という看板を見たときはテンションがあがった。4時間ぐらい歩いてたどり着ければいい、と思っていたのに、2時間ぐらいで練馬だった。
 行動を共にする同期は、今日の夜からレンタカーを借りて、旅行に行くつもりだった。なので練馬までくれば、レンタカーが借りられる! ってことで、レンタカー屋さんに行った。俺を送ってくれるというが、絶対渋滞で大変だろうから、迷った。新宿から練馬区のこの2時間。また同じ2時間を歩けば、たぶん、帰れる。でも、この2時間だけで、相当疲れてしまっていた。高速が使えればいいが、混雑する交番にいた警官に聞いてみたが、関越の情報は入ってきてない、とのことだった。新宿で見た首都高の情報は、通行止めだったから、無理だろうと思った。迷っていても仕方ないので、一旦、レンタカー屋さんについていくことにした。
 レンタカー屋さんでは、これから借りられる車はないか、というお客さんがいたが、やっぱり、ありませんとのことだった。

 友達が借りたクルマに乗り込み、真っ先にラジオをつけた。これで情報が得られる!! これほどまでに情報が欲しくなるなんて思ってもなかった。鉄道情報に耳を澄ますと、大江戸線は運転を再開したようだった。そのほか、地下鉄のいくつか。JRは今日中には動かない、という情報も。そして東武東上線も、今日中には復旧しないとのことだった。電車を待つという判断をしなくて、よかった。

 結局、渋滞していない、行ける所まで乗せてもらうことにした。ナビで俺の最寄り駅をセットしたら、17kmぐらいだった。それなら歩いて3~4時間、歩けなくはない。関越道はやっぱり通行止めだった。笹目通りから環八に入る交差点がとても混んでいたから、そこで脇道にそれた。どこか適当なコンビニに止めてもらえればそこから歩くよ。ナビの迂回路検索をしたら、渋滞のない狭い道で254にいけるルートを示した。ただ、254はナビで真っ赤になっていたから、254からは歩こう。
 路地裏を走る道の途中で、手ごろなコンビニがあったのでそこで下ろしてもらった。家までは14kmとなっていた。3kmの違いが、全然違う! これなら歩けるという自信が、希望が、全然違う。そして、クルマで移動している間は足を休められたし、寒さもなかった。だいぶ体力を回復できた。

 一人になって、歩き始めた。場所は大泉。幸い、道路標識があって、そこに、新座だったかの「埼玉の地名」があったので、そちらに進んだ。一応、地図も見てみたが、ここは掲載されておらず、役立たずだった。
 県道108号線にぶつかった。左に行くと新座方面、右に行くと「川越街道」、すなわち254だった。新座方面に歩いてみた。すると次の交差点の標識では、まっすぐで西東京、左で大泉、右で新座総合技術航行になっていた。まっすぐで新座だと思っていたので、西東京は想定外。そもそも、新座の名のつく高校があるということは、ここはもう埼玉なのだろうか? よくわからなかった。ただ、これをまっすぐ行くのは間違いかもしれない、と思った。徒歩での道間違いは体力を消耗して命取りだと考え、安全確実な、一度254に出ることを選び、一度道を戻った。
 朝霞の自衛隊の横を通る道だった。なるほど、自衛隊のところだったのか! 254を通っていて、何度か見たことがある自衛隊。これを行くと、あの辺りにあたるのか。

 歩きながら、母親に電話した。すんなり繋がった。新宿で会社の外に出た時にも試したら、繋がったが、出たのは妹だった。その前にメールもしていたから、安否確認は取れていた。このとき母に電話をしたのは、現状報告と、ちょっと元気を貰うためだったかもしれない。回線はもう混んでなかった。
 電話しながら歩いていたら、254にぶつかった。254を歩いている人は結構いた。道路の方はといえば、東京方面へ向かう道が、まったく進まないほどに混雑していた。都内から埼玉方面が混んでいると思っていたが、埼玉方面へ行く方は、それほどでもなかった。いつもの254のいつもの混み具合プラスαだった。朝霞警察前後はいつも混む場所だ。

 一人で淡々と歩く。でもあと10キロもない、と思えば大丈夫だった。
 同方向へ歩いている人はたくさんいた。朝霞警察を越えたら道は下り坂、でもそのあと、また同じぐらい上るので面倒だ。クルマやバイクでは何度も通った道だが、まさか歩くとは思いもしなかった。
 254に出た時から、もう見知った風景だった。何度も走った景色だ。次はあのお店があるはず、なんていう、目標も立てやすい。先が見えている。
 だが、この頃になると、体の方がついていかなくなり始めていた。足取りが重くなり始めた。淡々と歩き続けるけど、そのペースがちょっとずつ落ちていて、気づくと前傾姿勢になっていた。腰が曲がっていた。やがて、右足がとても痛くなってきた。一歩一歩がだいぶ辛い。そういえば、一人になって歩き始めてから、2時間ぐらい経つが、一度も休憩していない。
 「ねぎし」で食べた肉は、すべて使い果たした気がした。ガス欠だ。腹はそこまで減ってなかったが、最後のエネルギーを蓄えるためにも、「なか卵」に入って牛丼をかっこんだ。食べてからタバコを吸い、道を歩く人がだいぶ減っていることに気づく。

 これでもう終わりだ。これでもう。終わったも同然だ!
 休んだというのに、足の痛みはなくなっていなかった。足の痛みに引きずられ、足が重い。ただただ歩くしかなかった。
 ふと、信号が消えていることに気づいた。3つぐらい連続で、信号が消えていた。見回してみれば、人家にアカリがないような。このあたりは停電しているのだろうか? 我が家は大丈夫だろうか。
 しばらくすると、ちゃんと動いている信号があった。

 最後の力を振り絞って歩いた。やっと家にたどり着く・・・が、その前に、距離にして400メートルぐらい、遠回りして、コンビニに立ち寄った。タバコが残り2本しかなかったので、買っておきたかった。そこまでして・・・という感じだが死活問題であり、一度家に帰ってからでは再びコンビニに出向くのは不可能だと思った。

 家にたどり着いて、家に入ると、思ったより、というか、まったく、何も問題なかった。テレビは壊れてない!! 無造作に詰まれたダンボールも、ちょっと位置を変えていたが、落ちてなかった。細かいものが倒れたり落ちてたりしていたが、全然問題なかった。
 よかった!!
 ただもう足は本当に限界になっていた。足全体がアザになったかのようで、何かがぶつかると痛かった。足首を曲げるだけで痛みがあり、曲げられない。
 帰宅は12時半ぐらいだった。これなら終電まで飲んだ夜より早く帰れたわけだ。
 結局、会社で買った水は一度も飲まなかった。
 テレビを見て、やっと満足に情報が得られた。
 痛む足をかばいながら、ひとまず、寝た。

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27歳。男。埼玉県。

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